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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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自分が動かないと何も始まりはしない

3・11という事件はとても不幸なことだった。地震における津波の被害そして福島の原発事故、これは想像を絶する事件だった。この被害にあった人たちにたいしてはどのような言葉を出すこともできない。本当の悲しいことだった。この被害に対して権力を持っているグループは、悲しんでいるふりをして新たな策動を始めていることに気がつかなければならない。

3・11という言葉を出せば、どのような要求も通るとすれば、それが水戸黄門の印籠の間違った使い方なのだ。3・11で被害救済のために増税しなければいけないという政策を批判が出来ないような状況が生まれている。東電と国策ではじめた原子力発電事業のおける被害を、国と東電の責任を問わないで税金を投入することは許されることなのか。

3・11以来の国難ということを大義名分にしての増税、税と社会保障の一体改革と称して消費税を上げるという策動、いまごろあわてた法律を国会を通そうとしているようだが、人のよい国民をバカにしていることではないのか。想定外などという言葉など聞きたくない。人間に比べてとてつもない自然を相手にして、想定外などといいう言葉で免責されるわけがない。

文句を言えば誰かが何とかしてくれる時代は終わったのだ、あるいは誰かが何とかしてくれるという幻想を持つ時代が終わったのだ。自分がその問題のどのように向き合うのかが問われている時代が来たのだ。水戸黄門の印籠がなくなった時代がきたということだ。それを示すかのように水戸黄門は終了したのだ。このような運動があるべきだなどという意見は聞き飽きた。自分で動かなければどのような成果も享受することが出来ない時代が到来したのだ。
by qzr02421 | 2012-01-30 21:09 | 日常