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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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日本に近代的自我などあるのだろうか

近代戯曲における最初の台本は何か。戯曲と小説はどこが違うのかなどという問がある。結構難しい問なのだ。セミナーでは近代戯曲が成立するためには登場人物が近代人であること必要というのだ。近代的人間とは近代的自我を持った人ということだ。近代的自我というのは「自分とは何者か」という問を持った人だ。近代的自我を追求したのは北村透谷、森鴎外、夏目漱石、太宰治なでである。

夏目漱石の「こころ」で登場する先生こそが近代的自我を持った人物なのだろう。近代的自我をはじめて小説に著したのが北村透谷と言われている。彼はロマン主義とキリスト教の影響を受けて個人の内面世界を自由に表現しようとしたのだ。自由恋愛などということもいったと記憶しているが・・・女性と激しい恋に落ち、あまりの純粋さに自殺をしてしまうのだ。その自殺をしたのが27歳の時なのだ。

最初の戯曲は北村透谷が書いた『蓬莱曲』ということになっている。欧米ではたぶん戯曲を芝居が発達していたので、戯曲を書く作家が多いとおもうのだが、日本では歌舞伎などは座付きの作家が存在している。つまり戯曲という位置が低いのが日本の特徴のような気がする。ということで小説家がなんとなく戯曲も書いているという形なのだ。

芝居をする人も明治時代の日本には存在してはいなかったはずだ。近代演劇は西欧文化なのだから、日本には歌舞伎役者や能の役者いただけなのだ。また日本人と近代的自我とは相性が悪かったと思う。日本人は世間の中で生きているので自我があると生きにくいものなのだ。空気を読んで生きるのが日本人というものなのだ。ハムレットのような人物は日本にはいないのだ。ちなみにハムレットが最初の近代的自我を持った人物と言われている。「生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ」などという問そのものが近代的自我ということだ。
by qzr02421 | 2012-01-24 20:43 | 劇,映画その他