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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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日本はアジアの果てにあるのだ

カルチャースクールでアジアと日本という題で話した。日本はユーラシア大陸の東の果てだ。いろいろな人々そしていろいろな文化が訪れ、そこで融合され日本の文化が形成されたのだ。一方では西の果てはイギリスだ。東の果ての日本は鎖国をして海洋国家になることはなかった。信長や秀吉の時代には東南アジアまで貿易圏を広げたのだが、家康の時代には人々は土地の縛り付けるという時代となった。

どうして西の果てのイギリスと東の果ての日本とでは状況が変わってしまったのだろうか。それは食文化のあるのではないだろうか。縄文時代の、三内丸山遺跡の人々は豊かな食生活だったそうだ。現代の科学では骨を分析することによりどのような食生活をしていたのか分かるそうだ。それによるは縄文人は現代人と同じくらい豊富な魚を食べ、そして植物や動物を食べていたらしい。食生活が安定していると海外への関心も減少するということだ。

一方イギリスの小麦はまずいのだ。イギリスの食べ物はおいしくないということ常識だ。だからパンを焼いてバターをぬるのだ。フランスの小麦は美味しいので、その小麦で作ったフランスパンはおいしいのだ。フランスパンは焼かなくてもそのままでも美味しいのだ。食物が美味しくないイギリスは、美味しいものを求めて海外へ進出したに違いがないのだと思う。アジア諸国の豊かな食べ物があったので、腹ペコのヨーロッパの植民地となったのだと思う。

この縄文の豊かさの上に弥生文化という農耕文化が形成されたのだ。食べ物が豊かな日本だからこそ、いろいろな文化を吸収して日本独自の文化を作り出したのだ。その形成過程で中国経由の仏教を受け入れた。どうして仏壇や墓の花は生きている人に向いているのか。それは道教の影響で先祖信仰があるからあと考えられている。墓や仏壇に向っているのは、ご先祖様が私たちを見守っていてくれることを確認しているのだ。花を私たちは購入しているのだが、実は
ご先祖様が私たちの下さっているということなのだ。
by qzr02421 | 2011-11-09 19:43 | 歴史