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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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神はドミノを倒す存在か

プラトンの二元論を超える理論がでないとうか、二元論のくびきに支配されているのが西洋哲学なのだ。イデア論というのがプラトンの基本思想だ。理想的な存在があるという考えは魅力的だ。三角形はいろいろな形があるにもかかわらず、三角形らしきものを認識できるのは、三角形というイデアがあるかれだといわれれば、そういうものかと思うのだ。

アリストテレスイデアの部分の形質を、それを形作る基礎としての質料という考えを編み出した。二元論には違いない考えだ。このプラトンとアリストテレスの思想はイスラム世界で花開いた。このイスラム世界から再びこの思想をヨーロッパにもたらしたのが修道院だ。修道院でアラビア語からラテン語にアリストテレスの思想が翻訳された。これは12世紀のルネッサンスとよぶこともある。

このアリストテレスのキリスト教の思想が影響され生まれたのがスコラ哲学だ。このスコラ哲学を批判したのがデカルトだ。デカルトはいろいろ疑っていても、最後の残るのは自分だとしたて、「我思う故に我あり」という言葉を残した。デカルトも物質を精神を分けたのだ、プラトンの流れをくむ二元論だ。デカルトの偉大さは物質を精神にまたがって存在するのが人間としたことだ。

デカルトはドミノ倒しでドミノを倒すのが神だとしたらしい。倒しだけの存在が神だとすれば、神は歴史の途中で人間の歴史の口を出すことができなくなる。それでも二元論のこだわると、そのような状況になるのだ。この神を神らしく扱わない姿勢に激怒したのがパスカルだ。パスカルといえば「人間は考える葦だ」という言葉だ。人間はドミノ倒しのような機械論で説明はできないし、人間のありようで歴史は変わるということ言いたかったのがパスカルなのだろう。
by qzr02421 | 2011-09-25 20:17 | 日常