本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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見ている人がいなければ、ないのも同然

台風は名古屋から遠いときに東海豪雨と同じような気圧配置で被害が多かったが、接近したら東海地方以外に多くの被害をもたらした。用心したら被害がないということだ。今回の台風は三度目、三回目の用心をした。三度目の正直で大きな被害を東海地方の与えるかと思ったが、台風というより気圧配置での被害だった。名古屋での100万人をこえる避難勧告というすごい現実だった。

私は名古屋市の北区に住んでいるので、20日には避難勧告が出ていた、庄内川というしょうないかわが氾濫したら北区の南北が水没するということだ。幸いなことに北区では被害が少なかったようだ、守山区という土地の高いところでのそのたかいところの低いところでの被害があったのだ。土地が高いから安全ということではないようだ。

関東地方に台風が進んだ、台風の進路にあたる関東地方の暴風の被害が凄まじいものだった。関東地方はマスコミの中心部があるので、その報道も凄まじいものがあるように感じた。被害が関東地方に集中するとテレビの報道が多くなると感じるのは地方の住んでいる僻みだろうか。マスコミが存在しなければ、取材する人がいないのだから、その報道が少ないのは当然だろう。

報道というのは、報道する人がいるから報道されるのだ。歴史的な事実も、史料やそれを示す資料があるから分かるのだ。過去の民衆の歴史が分かりにくいのは、民衆が資料を残さないからだ。藤原道長のことがわかるのは、彼が日記を書き、その日記が現在に至るまで残っているからだ。史料、資料がないことは分からないということは、記録する人がいないことは歴史には残らないと行くことだ。歴史といっても残っている資料でしか分かってはいないという現実を踏まえることが大切なのだ。
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by qzr02421 | 2011-09-22 16:04 | 日常