本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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宮沢賢治はおくが深いようだ

宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」、「注文の多い料理店」そして「よだかの星」の三つの音響を考えている。朗読の音を考えるのは、演劇とは違う難しさがある。演劇は俳優が動くので、その動きを助けるという意味合いや、セリフのない部分を補助という意味もある。朗読はイメージを膨らますという意味合いが強いように感じる。三つあるので「セロ弾きのゴーシュ」について考えよう。

ゴーシュは金星音楽隊(以前読んだ記憶なので違っていることがあるかもしれない)の隊員でセロ、つまりチェロの奏者なのだが、セロが古いからか、技術がないのか、下手なセロ奏者という設定だ。指揮者におこられてばかりいるゴーシュが家に帰り、練習を一晩中しているのだ。朗読では「ゴーゴー」としているとしている。ゴーシュはまじめな性格なのだろう。

練習をしていると夜中に猫、カッコー、たぬき、そしてネズミ訪ねてくるのだ。ゴーシュのそれぞれいろいろな要求をするのだ。その要求にいやいや、あるいは興味津々と受けるゴーシュなのだ。たぬきの子どもはゴーシュに「ゴーシュさんの音の一部はおこれているのは何故」と聞くのだ、この遅れがいつも指揮者からおこられている部分なのだ。やはりチェロが古いから、音が遅れるのだろうか。猫などそれぞれの動物との対応が面白い、宮沢賢治の優しさを感じさせる会話が多い。
 
動物たちとの演奏が功を奏したのか、本番ではゴーシュは以前よりもまして上手くセロを弾くことができたのだ。指揮者もゴーシュにやればできるじゃないかと言葉をかける。アンコールにゴーシュは「インドの虎狩」という曲を弾くのだが、この曲は猫に聞かせ、猫が暴れた曲なのだ。この曲の観客は静かに聞いたということになっている。「インドの虎狩」という曲は存在していないのだ。宮沢賢治が勝手に文章の中に書いているだけなのだ。ガラスを割ったりする音は探せばあるのだが、存在していない曲は探しようがないのだ。どんな曲をその「インドの虎狩」にしようか選曲中なのだ。音はたくさんあるのだが、イメージにあった曲を探すのは大変だが、楽しいことなのだ。
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by qzr02421 | 2011-09-20 19:25 | 日常