本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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思想はとは自覚していないものなのだ

カルチャースクールで昭和史、とくに日中戦争を話しているのだが、戦争を語るには天皇制を語ることが必要となる。明治以降の天皇制はとはどのようなものかというのは難しい課題。天皇とは日本史のなかでどのように位置づけたらよいのか。天皇を語る人とはどのような人かという視点で考えてみた。

天皇制というのは一つに思想だろう。明治憲法でも天皇に特殊な権力を与えたわけではない。天皇は何もできないが、存在するというものだ。政治に口をはさむことはできないが、権威はあるというのは天皇制というものだ。戦後天皇は象徴となったが、天皇の地位は戦前と戦後を変わるものでないというのが基本的な認識だ。権威というのはその権威を信じる人がいて成立するものだ。そのような意味で権威を否定するアナーキズムは権力のとっては怖い存在なのだろう。

思想というものは空気みたいなもので、思想を信じている人にとっては問題とならないものだ。天皇制の中で暮している人は天皇制を問題にすることはない。天皇制を考える人は、天皇制を否定しようとする人々しかありえない。天皇を玉として操ろうとしたと思われる薩長の人々はどのように天皇を利用して民衆を操作しようかとは考えただろいか、天皇制の本質を考える必要はなかっただろう。薩長の人々は天皇を神とは考えてもいなかったと思う。

天皇機関説で天皇は国家のひとつの機関とはしてみたが、満州事変そして日中戦争が始まり、ロシア革命で共産党の脅威があるなかで、日本をまとめるためには天皇の神格化が必要だったのだろう。国の為に死ぬ、天皇のために死んで靖国に行くということで戦争を戦おうとしたのが当時の政府の方針で、そのために天皇が利用されたということなのだろうか。天皇制は日本史では重要な課題なのだが、一番難しい課題でもある。
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by qzr02421 | 2011-09-17 19:55 | 日常