本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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知識と教養と情報のちがいは?

愛知産業大学工業高校が地域のために落語の会を開催している。地名にちなんで橘座公演という。今回は第18回、11月21日に開催された。1時から始まり、中入りが入り3時15分頃終了した。落語3席と俗曲で構成されている。主に演じたのが春風亭小柳枝だ。演目は「井戸の茶碗」と「芝浜」だ。人情話2席を十分に堪能することが出来た。しかも無料というのがよい。学校ならでは落語の前に校長挨拶、最後の生徒会長挨拶があるのが愛嬌というものだ。

前座は瀧川鯉ちゃの「開口一番」だった。物知りの隠居と無知な江戸っ子の組み合わせだ。先生というには「先に生まれた」ということで、知ったかぶりをする人物、何でも知っていると思い込んでいる人という説明から入る。確かに先生というのは先に生まれただけだ。たいしたものではないのだ。知識と教養と情報のちがいをえらそうに話すのが先生というものだ。

結局、知識と教養と情報のちがいは、「おはぎ」と「ぼたもち」と「あんころもち」のちがいくらいしかないのに、もったいぶって話すのが先生というものだ。いくら知識や常識があっても、たくさんの情報を持っていても、それが人のために使われないのなら、ないのと同じなのだ。人間は社会の中で生きているので、人のためにならない知識などは何の役にもならないのだ。

知ったぶりの知識、つまりテレビのクイズの答えを知っていても、たいしたことはないのだ。落語では隠居が「奥さん」はぜ奥さんなのか、答えは奥でお産をするからというものだ。子どもは「風の子」というのはなぜか、「風」「風」(ふうふ)の間に生まれたからだというのだ。この話は「やかん」はなぜやかんというのかをくどくど説明するのだ。言葉の由来は面白いものだが、面白いということだけのものだ。
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by qzr02421 | 2010-11-21 17:50 | 日常