本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

了見になること

カンガルーという言葉はアボリジニー語で「私は知らない」という意味だそうだ。探検隊がカンガルーを見て、アボリジニーに、あの動物はどういう名前がと聞いたら、「私は知らない」つまりカンガルーという答えとなり、その動物はカンガルーという名前となったのだ。名前の由来というのはそのようなものなのだろう。

言葉というのは誤解されやすいというのが基本原則なのだ。誤解されないように、さまざまな回線で相手に伝いようとするのだ。言語と非言語で伝えるのだ。非言語というのは言語以外の要素、ボディーランゲージなどで自分の言いたいことを相手に伝えようとするのだ。目配せなどは意味深な非言語だろう。言葉はメッセージしか伝えないが、メッセージの裏には、感情があるのだ。その感情を伝えるのが非言語の役割だ。「今夜どう」とメッセージがあっても、この言葉だけでは何がどうなのか分からない。手の飲むしぐさをしながら「今夜どう」なら、この言葉が意味することができる。飲みに誘われたのだ。その誘いに乗るかどうかは、財布と家庭の事情を考えて判断し、答えを出すのだ

マクルハーンは「メディアはメッセージ」だと言ったということだ。新聞や人が言ったことは、バイアスがかかっているが、テレビなどは、伝えたいことがそのまま伝わるということだ。かつて佐藤首相が、新聞記者は出て行ってくれ、テレビの前で話すからと言って、新聞記者を追い出したこと思い出す。新聞は新聞記者というバイアスがあるので、言いたいことが素直に伝わらないが、テレビではメッセージ以外の部分も伝えることができるのだ。

落語も体全体で伝えるメッセージだ。落語を上手にやることは「その了見になること」だという。了見という言葉は使うのは簡単だが内容は難しいものだ。無駄な部分があって、全体が分かるということは、無駄な部分の重要性があるということだ。メッセージを正確に伝えるためには無駄な部分と思われる部分が実はとても重要なのだ。最近はその重要さが理解されずに、重要と思われることのみが取り上げられるが、無駄なことの中に真実があるということを理解することが大切なのだ。
[PR]
by qzr02421 | 2010-09-22 21:48 | 日常