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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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死は生きている人のためにある

意識がなくなるということが死の始まりだろう。意識がなくなるということは、死を意識しないということだ。夜、誰しも寝るのだが、朝になると目覚めるということが前提だ。目覚めなければ死んでいるということが、目覚めないので、死んだことには気がつかない。死ぬことが怖いというけれど、結局は、知らないうちに、死んでいるということだ。

生きるということは煩わしいことだ。仕事もしなくてはならないし、さまざまな悩みを抱えることもある。しかし、それが生きているということだ。夜寝て、朝起きて、1日煩わしいことを経験すること、それこそ生きているということだ。それが煩わしいことでも、人は死にたくはないのだ。死に間際には、人はボケるらしい。ボケたほうがよいのかもしれない。

ある高僧が、ボケずに死を迎えたという話がある。弟子が高僧に「何か最後に一言」と言ったら、高僧は「死にたくない」と言ったとか。弟子が冗談だと思って、さらに「最後に一言」と言ったら、高僧は「死にというない」とさらに繰り返したというのだ。誰しも、死んで、自分という存在がなくなるということは、残念なことだと思うようだ。

歴史を学ぶと、今まで死ななかった人はいない。大金持ちでも、権力者でも、貧乏人でも、奴隷でも、平等に死は訪れるのだ。お金を死地に持っていくことはできない。名声も死地の持っていくことはできない。思い出さえも死地に持っていくことはできないのだ。重いでは、生きている人こそが必要なのものなのだ。生きるということは苦しいことだが、その苦しいことが、生きがいであり、楽しいことなのだ。臨終という言葉があるが、臨終などという状態は生きている人のためにあるのだ。死にゆく人には、だだ、夢、無、霧、ムがあるだけなのだ。今を生きるということ以外、生きている人ができることはないのだ。
by qzr02421 | 2010-05-11 15:43 | 日常