本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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やるせなさ、さびしさとは?

「昔から自然を深く愛した日本人」という考え方があるが、自然の中に住んでいるときは自然の脅威にさらされ、愛することなどできなかったはずだ。自然つまり神は祟るのだ。だから祟らないように祈ることが必要となる。自然を愛するためは自然の破壊が進むことが前提となる。自然の破壊つまり文明化だ。

明治維新後近代機械文明が発達し、人々は都市に住むようになった。人工的な都市に住むようになったのでここに「自然を愛する」という発想が生まれることとなる。内務省は「田園都市」構想を立ち上げ、それを実行した。それとともに日本にも大衆が出現した。そして民衆文化が生まれる。大正期に生命中心主義、つまり人間は普遍的な生命(宇宙を作っているものが生命)と共に生きているという考えが生まれ、それにともない中世美学が再発見される。わび、さび、幽玄こそが日本的なものという考え方となる。また松尾芭蕉も再評価された。俳諧は下等なゲームという意識があったが、自然を取り込む俳句を読むということが、生命中心主義と結びつき、芭蕉礼賛となる。

第一次世界大戦の好景気そして不景気、さらに関東大震災によって、大衆は世の無常を感じた。やるせなさ、わびしさという思いが心にすみつくようになる。高級芸術つまり能などのワビ、サビと大衆のワビ、サビが分離されていく。大衆のワビ、サビは捨て鉢で投げやり調子となっていく。エロ・グロ、ナンセンスも流行した。第二次世界大戦の敗北で、国が滅んでも人間は生きているということを実感した。国家の生命から個人の生命へと変化した。
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by qzr02421 | 2010-05-06 14:53 | 日常