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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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身は心を表現している

ナショナリズムはどのように維持されるのか。日本という国は継続性を感じることができるのでナショナリズムを考える機会が少ないように感じる。一番思い出す例はとしては、ポーランドがある。この国はドイツとロシアとオーストリアに挟まれた大国だが、挟まれているために被害も受けた。ポーランド分割だ。プロイセン、ロシアそしてオーストリアによって三度にわたり三分割された歴史を持つ。

第一次世界大戦後の民族自決で独立したが、三分割されたとき、どのように民族意識を持続させたのか。彼らの民族意識を支えたのはポーランド語という言語、カトリック教会という宗教そしてロマン派の芸術だった。ロマン派の芸術で思い出すのはショパンだろう。ナショナリズムを支えるのは言語、宗教そして芸術ということだ。

日本人のナショナリズムを支えているものは何だろう。日本語は言うまでもない。能や歌舞伎、相撲、柔道などの文化もそうだろう。宗教はどうだろう。それは神道と仏教だろうか。江戸時代までは神仏習合だったので、神社と寺に行くことが同じことだった。同じ対象に祈りを捧げたのだ。日本の神=仏に対して、日本人は行動でその信仰を示したと思う。お参りの作法、お経のあげかたなどだ。身体を英語ではボディーというが、ボディーは身体の体の部分をあらわす単語で物質的なイメージがある。

それに対して身は心をあらわしているように感じる。身を焦がす、身にあまる光栄、身にしみるなど、心を表す表現が多い。心はどこにあるのかという問は難しいが、心は身にあるということだろう。身とは表現のこととも言える。悲しい顔があるから、相手は悲しさを理解することができるのだ。心は人と人とに間にあるともいえる。心は関係性の中にあるということだ。一人で悲しんでいても、わびしいだけだ。人と人が存在して、そこの身そして心があるのだ。」
by qzr02421 | 2010-05-03 17:25 | 日常