「個人」を理解できない
2010年 04月 16日
竹下登はその円熟したお祝いに「ふるさと創成構想」を打ち出した。目標達成はつまり目標喪失だ。これ以降日本の漂流がはじまる。 ふらふら漂流してバブルを迎える。そしてバブルの崩壊、失われた10年、会社がなくなると自分もなくなるという価値観の崩壊、共同体的規範を持つ日本型経営企業が終った。
戦後民主主義という表層の下に村落共同体規範が張り付いていたのが戦後の高度成長時代の実態だ。会社で頑張っていれば、会社は悪いようにはしないはずだという時代だ。それがバブル崩壊で、会社は無慈悲にリストラをはじめた。しかし、本来会社というのは無慈悲なものだ。それが資本主義社会の会社と言う存在だ。
人情を大切にし、社員の一体感を大切にしたニッポン株式会社は、バブル崩壊で資本主義の正体をあらわにした、生産効率第一主義へと体質を変えたのだ、いや本来の資本主義社会の会社の戻った。社員一丸という時代は終わった。これからは、個人の時代になるのだろうが、日本人が個人という概念を理解するのはいつのことだろうか。
日本人は明治時代に個人という概念と遭遇したが、この概念を理解したことがない。高野長英は個人という単語を「一体一形分かつべからざる元行」と訳した。インディビジュアルは「これ以上分けられない」という意味だ。高野長英をしてこの個人という単語を理解することができなかった。個人が理解できないのなら、個人が形成する社会は理解できない。個人を理解するまで日本の混迷は終らないだろう。以上さらに『団塊の肖像』橋本克彦、NHKブックスを読んで
戦後民主主義という表層の下に村落共同体規範が張り付いていたのが戦後の高度成長時代の実態だ。会社で頑張っていれば、会社は悪いようにはしないはずだという時代だ。それがバブル崩壊で、会社は無慈悲にリストラをはじめた。しかし、本来会社というのは無慈悲なものだ。それが資本主義社会の会社と言う存在だ。
人情を大切にし、社員の一体感を大切にしたニッポン株式会社は、バブル崩壊で資本主義の正体をあらわにした、生産効率第一主義へと体質を変えたのだ、いや本来の資本主義社会の会社の戻った。社員一丸という時代は終わった。これからは、個人の時代になるのだろうが、日本人が個人という概念を理解するのはいつのことだろうか。
日本人は明治時代に個人という概念と遭遇したが、この概念を理解したことがない。高野長英は個人という単語を「一体一形分かつべからざる元行」と訳した。インディビジュアルは「これ以上分けられない」という意味だ。高野長英をしてこの個人という単語を理解することができなかった。個人が理解できないのなら、個人が形成する社会は理解できない。個人を理解するまで日本の混迷は終らないだろう。以上さらに『団塊の肖像』橋本克彦、NHKブックスを読んで
by qzr02421
| 2010-04-16 14:08
| 本