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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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演技は毎回違っている

芝居は幕によって時間を切っている。1幕と2幕の間には時間の経過があることになっている。幕は字の通り幕を下ろしてもよいが、暗転でそれを表現してもよい。これは100年ほど前の近代演劇の技法である。現代演劇はこの時間を切るという幕というものを否定するものもある。幕以外で時間の進行を表現しようとする。

場面転換は映画で言えばカット割のことだ。演劇と映画と比べれば、その表現に具体性は映画の方が優れている。では演劇では何を表現すればよいのかという問題になる。風景の描写は映画が優れているのは間違いがないのだ。演劇でセットに手間隙をかける時代は終わったのかもしれない。

最近の舞台の照明はコンピューター制御になっている。ある俳優があるセリフなり動作をきっかけにして照明が30秒かけて変化していくようにプログラムされている。つまり俳優は毎回この30秒間に同じセリフをきちんと言わなければならないのだ。この30秒を俳優に毎回強制することは実は酷なことだ。相手とのからみのある、そのからみが演劇の本質でもあるのだろうが、それは同じ30秒でいつもできるわけではない。そこの感情があるかぎり、毎回その時間は変化するのが普通だ。演技は毎回違っているものだというのが映画との違いだろう。

稽古をしていると結構もめる。それは理念がないからだろう。その都度話し合うのだ、理念がないと言う理念について、ともかく稽古をすることから始め、稽古で終るのが演劇というものだ。ト書きに「不意に」「はるかに遠く」とあっても、不意とはどれくらい不意か、はるかに遠くとはどれくらい遠いのかを考えることだろうが、これはこれを書いた作家にも分かっていないのではないだろうか。それを稽古によって表現していくのが演劇というものだろう。以上また『おもしろければOKか?』(三浦基著)から印象に残った事を中心に勝手に解釈して記した。
by qzr02421 | 2010-03-31 17:30 |