人気ブログランキング | 話題のタグを見る

本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

歌舞伎の3つのS

歌舞伎では役者と身体と空間の関係が問われる。自分の役の居所つまり演技をする場所にスーッと一度で、迷わず行ける人が名優の条件だという。役柄によって舞台の居所が定まっていて、そこへ迷わず行くことができる人は、空間を自分の体の叩き込んでいるのだ。

猿之助は歌舞伎に3つのSを主張している。すなわち舞台展開の「スピード」、全体の話がだれにでもわかる「ストーリ」、観客を驚かせる「スペクタクル」だ。早替わりは「スピード」のひとつであり、「ストーリ」は通し狂言であり、「スペクタクル」のひとつは宙のりだ。宙のりや早替わりを「けれん」つまり視覚的に観客の眼を驚かせる詐術的な芸を従来の歌舞伎は切り捨てた。その「けれん」の面白さを再発見したのが猿之助なのだ。

野田秀紀はオペラを使って歌舞伎を批評した。それが「愛陀姫」(あいだひめ)つまりアイーダを原作としたものだ。ここでの批評は歌舞伎には論理的な展開がないこと、歌舞伎にはドラマをとかく絵にする傾向があること、歌舞伎には傍白がないことだ。この三つを乗り越えて作ったのが「愛陀姫」だ。歌舞伎に傍白がないのだが、この作品は傍白をふんだんに使っている。傍白とは、他人の前で登場人物が横を向いて、その内心を語る言葉のことだ。それに対して独白は、だれもいないところで一人でしゃべるセリフのことだ。歌舞伎にも独白はある。

蜷川幸雄は歌舞伎の特徴をつかんで歌舞伎としてシェークスピアの「十二夜」を演出した。その特徴とは、男が女を演じる女形、自分をやつす「実が何某」という設定、花道の客席と役者の現代と江戸の交錯する風景だ。女性が男装とするというシェークスピアの世界は歌舞伎に通じるものがあるのだろう。以上『私の「歌舞伎座」ものがたり』(渡辺保著、朝日新書)より
by qzr02421 | 2010-03-29 12:34 |