人気ブログランキング | 話題のタグを見る

本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

妖星の放つ穢れから・・・

1301年9月21日(和暦、グレゴリオ暦では10月23日)、400年後にハレー彗星と名づけられる彗星が出現した、これ以前最初に彗星が観察されたのは一ヶ月前の8月21日だった。この時の鎌倉幕府執権北条貞時は、再び蒙古が襲来するという噂などがあり、執権職を辞し、出家した。これまでも彗星出現で引退したれ出家する支配者は珍しくない。

新政権は妖星の放つ穢れから国土を守り、失墜した幕府の権威を立て直そうとして。その方法は全国の大社大寺に対して「天下泰平御祈祷」を命じることだった。さらに徳政を実施した。為政者の不徳で彗星などの天変地異が起こったという解釈だ。そのため広く善政を施して災厄を取り除くのだ。

徳政というのは裁判を迅速に公平にするということだ。12月10日には薩摩国から蒙古襲来の知らせが届いた。幕府は異国降伏の祈祷を全国の寺社に命令し、九州・西国の武士団は対外緊張を強いられた。九州・西国の武士団は文永・弘安の役以来警固を解かず待機していたのだ。これを機会の勢力を拡大しようという野心をもつものも多かった。

これを正安の蒙古襲来という。しかし、被害の実態はよく分かっていない。幕府の記録では「大風吹き、賊船は逃げ去った」とある。つまり、仏神の加護により再び「神風」が吹き、敵船を挫いたと考えたらしいのだ。これらの蒙古襲来を利用して、幕府は今まで支配が及ばなかった荘園にまで税の徴収を可能にしていった。荘園領主はともかく、蒙古襲来に怯える民衆の支持があったのだ。以上『神風と悪党の世紀』(海津一朗著、講談社現代新書より)
by qzr02421 | 2010-03-21 12:20 | 歴史