人気ブログランキング | 話題のタグを見る

本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

分け入っても分け入っても青い山

種田山頭火の劇?リーディング劇?朗読劇?を見た。劇ではない。朗読でもない。なんというジャンルだろうか。台本は多分劇だろう。しかし、実際は朗読、そして光と音響が入り、ショーにような演出だった。出演者も朗読のような人、トツトツと読む人、演技をする人などいてバラエティたっぷりだった。一回公演で、名古屋市芸術創造センターで行なわれた。1時半開場ということで1時25分頃行ったが、雨の為か、開場されていて客席の半分くらい人が座っていた。

種田山頭火という人は大正・昭和の俳人であり、俳句のきまりを無視し、いわゆる「自由律俳句」を詠んだ人だ。山口県防府の大地主の家に生まれるのだが、結構波乱万丈な幼少時代を送る。母を自殺で失って、これが心の傷になったようだ。彼は28歳から「山頭火」として文芸稼動を始めた。家業の酒屋が倒産して、妻と熊本に逃げるように行く。いわゆる普通に生活というものができない人なのか、東京に単身行く。なぜかその時離婚をした。この劇ではその離婚は妻の兄のしわざとしていた。その後も山頭火は熊本に帰り、その離婚した妻と生活している。劇ではそのあたりの前後関係が無視されていた。

別れた妻と住んでいたころ泥酔した山頭火は市電の前に立ちはだかって急停車させる事件を起こし、これが原因で出家への道を歩むのだ。この時山頭火は43歳なのだ。翌年山頭火は法衣と笠、そして鉄鉢を持って熊本から西日本各地へと旅立つこととなる。いわゆる行乞の旅だ。この度は7年間、その中で多くのうたを詠んでいる。有名な「分け入っても分け入っても青い山」もこの時生まれるのだ。

46歳で四国八十八ヶ所を巡礼し、この時小豆島を訪れる。この芝居ではこの小豆島で出会ったお遍路が最初に登場する。実際このようなお遍路が存在したかどうか知らないが、このお遍路さんを演じた人は、芝居をしようと努力していたようだ。目の見えないお遍路が遍路をし、山頭火に「私のこの道はこれでよいのでしょうか」とたずねる。それに対して山頭火は「私にも分からない、放浪することが道を探すことです」などと答える。結局生きることが道を探すことということだろうか。

山頭火の酒豪ぶりはハンパじゃなかったらしい。泥酔のプロセスは「まず、ほろほろ、それから、ふらふら、そして、ぐでぐで、ごろごろ、ぼろぼろ、どろどろ」と言っている。「ほろほろ」で3合飲んでいたということだ。台本のよい劇は見ていて、それなりに感動を生むものだ。劇はまずはよい台本を探すことということが分かった。
by qzr02421 | 2009-12-06 10:04 | 劇,映画その他