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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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地獄に入ることが出来る井戸

東寺は平安京の中にあるのだが、京都の東山の麓にある寺は平安京の外に位置する。平安京の位置は鴨川と桂川に間だから、鴨川から東は平安京ではない。人が集まると、水とトイレと死体の処理に困るのだ。庶民は大宝令で墓を作ってはいけないとされたので、ほとんどの死体は風葬か水葬となった。水葬は鴨川に流し、風葬は平安京の郊外に捨てられたということだ。

観光名所となっている化野、そして清水寺あたりは風葬の場所だったらしい。清水寺に行く途中に六道珍皇寺がある。京都市民は六道さんと呼ぶらしいが、このあたりはかつては鳥野辺の入り口で、風葬の場所だったのだ。この六道珍皇寺には地獄に入ることが出来る井戸があったそうだ。篁は夜ごと井戸を通って地獄に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという。六道珍皇寺の閻魔堂には、篁作と言われる閻魔大王と篁の木像が並んで安置されているのだ。

清水寺の舞台も、その存在意義は、その舞台から死体を投げ捨てたという。今は観光客でにぎわう舞台もかつてはしたい投げ捨て場だったのだ。投げ捨てられた死骸は動物に食べられ跡形もなくなったということだ。ところで六道珍皇寺の井戸か地獄に入り、その出口はどこのあったのかというと、それは化野念仏寺のあたりということだ。オカルトめいた話だ。

ところで東寺だが、ここは平安京が造られたとき、西寺とともに最初に造られた官寺だが、嵯峨天皇の時代に空海に下賜されて以来真言密教の根本霊場として今日まで栄えた寺なのだ。寺が出来たというと出来たという言葉ですべての施設が出来たような気がするが、そんなに簡単に出来るわけがない。桓武天皇が遷都したという平安京も、794年にはどれほどの建物があったのだろうか。建物の予定だけで、大内裏だった、どれだけ完成したいたことだろうか。スカスカの平安京を想像してみようではないか。
by qzr02421 | 2009-11-11 16:43 | 旅行