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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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最近では客観的責任主義が有力になっている

主権の理解は国際社会を考える上では重要なポイントとなる。この主権の話は4月のテーマだった。5月は主権と国際法の関係にも触れた。そこで主権と国際法についてまとめてみよう。6月は国際平和について触れたいと思っている。

主権は対外的に「他の対外的にいかなる権力にも従属しない」のだが、それは国際法により客観的に拘束されることまで否定していないという立場をとっている。J.ボダンは主権はいかなる地上の権力(ローマ法王、神聖ローマ帝国、封建諸侯を想定している)にも服しないが、同時に神法、自然法、人定法(サリカ法典など)に拘束されるのは当然とした。

ヘーゲルなどの影響でドイツでは国家の絶対性が主張され、国際法の客観的な拘束を否定した時期があったが、現在では、国家がその国際法の形成に参加している場合はその国際法の服するのが基本となっている。国際法は国家間の合意のよって成立し妥当するのであって、合意を与えない国家を拘束することはありえないのだ。

「宇宙条約」は国際法だが、宇宙は国家による領有を禁止している。また一方では宇宙空間と天体の探査とその利用はすべての国に自由である、全人類に認められる活動分野としている。「月協定」では天体とその天然資源は人類の共同の遺産であり、商業的活動が可能のなった段階で国際制度の設立を検討することになっている。

宇宙の軍事的利用については禁止されていないが、核兵器その他の大量破壊兵器を運ぶ物体を地球を回る軌道に乗せたり、これらの兵器を天体に設置したり、宇宙空間に配置することは禁止している。天体以外の宇宙空間は大量破壊兵器以外の軍事的利用は禁止されていないのだ。

「宇宙物体登録条約」ではロケットを打ち上げ国が国内で登録してそれを国連に通報して登録簿に記載することとしている。宇宙飛行士は「宇宙空間への人類の使節」という位置づけとなっている。宇宙条約では、宇宙への活動が非政府団体か、政府団体かということに関係なく自国の活動として違法的責任が締結国に帰属することを定めている。

国家責任は、国際義務違反という客観的事実のみで認定されるというのが客観的責任主義である、以前は故意または過失という心理的要素の介在が必要だとする過失責任主義があったが、最近では客観的責任主義が有力になっている。

国家の責任として問われるもの戦争がある。国際紛争を解決する手段としての戦争は否定しても、それだけでなくなるというものではない。18世紀中頃までは「正戦論」(グロチウスは防衛、権利の侵害に対する救済および制裁を正当なる戦争とした)が存在したが、それ以後は正戦論は観念論とみなされ、「無差別戦争観」が支配的となった。国際法が規律の対象としたのが主として戦争の遂行方法である、国際紛争を解決するための最後の手段としての戦争は、国際法上違法とはみなされていなかった。

しかし20世紀、とくに第一次大戦後の国際法は次第に戦争そのものを規制することに重点を置くようになった。連盟規約では戦争の全面的禁止までは主張していない。その後全面禁止を条約化する企てがなされ1928年不戦条約が成立した。この条約をしても現実に戦争を国際社会から追放することはできなかった。
by qzr02421 | 2009-06-09 21:36 | 日常