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本を、旅を、世の中をどのように見るのか


by qzr02421
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倭国の首都が邪馬台国?

朝日カルチャースクールで、世界史の基礎講座を持っているが、今は世界史をひとまずおいて、日本史について話している。世界史から見る日本史という観点だ。とくに古代史は東アジアという世界観で日本を捉えるのがよいと考えている。

邪馬台国や奴国、そして倭国といっても、現在に日本というような捉え方をしない方が分かり易いのではないだろうか。東アジアにつながるクニ(国民国家ではないので、カタカナでクニとする)という捉え方だ。東アジアネットワークという捉え方だ。中国も朝鮮もそして日本も、この当時はないという考え方をした方がよいのだろう。倭の五王という存在も、東アジアというスケールで捉えた方が面白いと思う。

ところで箸墓古墳に調査で、この古墳は放射性炭素年代測定で3世紀後半の遺跡という結果が出たというニュースがある。邪馬台国の卑弥呼に墓ということだ。考古学はこのような結果を得て、邪馬台国畿内説が有利と判断しているようだ。しかし、考古学では有利というのが限界だろう。文字資料が出ないと結論はでない。

邪馬台国という倭国の首都がどこにあってもよさそうなものだが、気にはなる。東アジア世界という観点にたてば、北九州に太宰府のような拠点となる都市があってもよいのだ。邪馬台国にようなクニが二つあってもよいのではないのだろうか。
by qzr02421 | 2009-05-31 18:12 | 歴史